郷里・岡山県高梁市のこと
備中松山城と頼久寺他(その1)(2024.9.23)
昨日の午後、岡山県美星町の国際尺八研修館で講師を務めました竹内一裕さんが私の実家に来て、古管尺八を見ました。今日は午前中、雲海の城・備中松山城に竹内氏と登城しました。祝日なので、駐車場からシャトルバスでふいご峠駐車場まで向かい、そこから山道を20分で天守広場に到着、気温も27℃と快晴で快適な気候でした。広場には猫城主・三十郎がテーブルの上にいました。記念撮影をしてから天守閣内部を見て、下山して高梁国際ホテルで松茸御膳を竹内さんにご馳走しました。その後、小堀遠州の庭園がある頼久寺を見て、武家屋敷を見学した後、竹内氏は神戸に向かいました。
備中松山城と頼久寺他(その2)(2024.9.23)
備中松山城と頼久寺他(その3)(2024.9.23)
備中松山城と満奇洞の旅(その1)(2023.8.4)
備中松山城と満奇洞の旅(その2)(2023.8.4)
備中松山城と満奇洞の旅(その3)(2023.8.4)
備中松山城と満奇洞の旅(その4)(2023.8.4)
備中松山城と満奇洞の旅(その5)(2023.8.4)
備中松山城と満奇洞の旅(その6)(2023.8.4)
高梁のお盆の行事:備中松山踊りと灯籠流し(その1)(2022.8.14~16)
高梁のお盆の行事として。久々に備中松山踊りが14日から16日まで開催されました。また、高梁川での精霊流しも15日の夜に開催されました。8月12日には、桔梗河原の運動公園で、屋台が並び、備中松山踊りの後、花火2000発が打ち上げられました。人口減少で、日中も街中ではあまり人影がありませんが、12日の夕方は花火会場に多くの人の行列ができました。備中松山踊りも、踊り会場は駅前通り、屋台は栄町商店街とに分けて、コロナの感染対策がなされていました。(踊りの写真は吉備ケーブルテレビの映像です)
高梁のお盆の行事:備中松山踊りと灯籠流し(その2)(2022.8.14~16)
高梁のお盆の行事:備中松山踊りと灯籠流し(その3)(2022.8.14~16)
高梁市有漢町の大平山(その1)2022.5.5.
高梁市有漢町の大平山(その2)2022.5.5.
高梁市有漢町の大平山(その3)2022.5.5.
備中松山城・猫城主三十郎と海上保安庁(その1)(2022.4.6)
備中松山城・猫城主三十郎と海上保安庁(その2)(2022.4.6)
備中松山城・猫城主三十郎と海上保安庁(その3)(2022.4.6)
備中たかはし町家通りの雛まつり(その1)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その2)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その3)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その4)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その5)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その6)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その7)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その8)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その9)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その10)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その11)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その12)2022.4.3
備中たかはし町家通りの雛まつり(その13)2022.4.3
高梁市の実家に大阪から竹友が来ました。(その1)2021.9.26
高梁市の実家に大阪から竹友が来ました。(その2)2021.9.26
湯郷温泉の旅(その1)2021.8.23
昨日の朝、施設に入居しています母の体調が良くないので病院で検査をするとのことで、病院に出開け、3か月ぶりに母に会うことができました。検査の合間に、母と話もたくさんすることが出来ました。検査結果、現状維持とのことで母は施設に戻りました。午後から、長女と岡山県北の湯郷温泉、美春閣に出掛けました。夏の疲れを温泉に入浴して癒しました。唇が柔らかくなったところで、持参しました3本の尺八の吹き込みをしました。川崎の自宅にあります400本の地無し管の中で、岡山の実家に持ち帰る尺八は4本、その中で息受けが一番の3尺管(銘が心月輪)、その次は甲乙がつけがたい錦風流用の2尺2寸管(銘が蒼龍)、(銘が吟松)の2本です。これらは、音味だけでなく、音の切れが抜群です。これらの尺八を超えるものを製作することが、これからの目標です。
湯郷温泉の旅(その2)2021.8.23
持参しました地無し管に息を入れ、その音味を自分で楽しむことができますが、これらの音味を聞くたびに、若かりし頃、琴古流尺八の世界で、本曲や三曲合奏で大きな音を出すことばかり目標にしていましたが、28歳の時に、岡本竹外先生に入門して、地無し管で出す音について奏法の指導を受け、その後、35歳で琴古流の世界は卒業しました。それからは、岡本先生から指導を受けました難管鳴らしの奏法を一子相伝で受け継ぎました。それからは、地無し管の音味について研究しながら40年の歳月が過ぎました。現代の若者の尺八奏者の音を聞くと、こんな音を自己満足で生涯吹きつづけるのかと思うと、気の毒に思います。私は幸いに28歳で師匠に恵まれたことが生涯の宝になりました。
高梁の尺八工房の改修(その1)(2021.5.9)
昨年の夏に、実家の2階ベランダに屋根を設けて、作業台を製作して胡弓の弓や尺八の製作を始めましたが、11月に入ると、朝晩は冷え込むようになり、今度はポリカボネード板で回りに壁を設けました。隙間風も入らず、冬場でも太陽熱で作業場は昼間は20℃くらいになり、快適に尺八製作も出来ましたが、4月に入ると、日中は30℃を超えるようになりました。これでは日中は暑くて作業が出来ないので、扉部分には網戸を設けましたが、それでも作業台前は暑く感じるので、アルミサッシュ窓(網戸付)を取り付けることにしました。先月、発注したら川崎の自宅に戻っているときに窓が届いていました。今日は、作業台の前面のポリカボネード板を切り除いて、窓用の枠をツーバイフォー材で製作して、窓枠を組み立て、取り付けをして、窓が完成しました。窓からは、庭の赤松、さらに先には海抜400mの山を見ながら作業が出来ます。作業台の前面から涼しい風が通り抜けるので、これならばしばらくは作業ができそう。それでも、高梁市は昨年の8月には35℃以上連続23日の日本記録を更新した町なので、作業場もエアコンが無ければ夏場の作業は無理のようです。
高梁の尺八工房の改修(その2)(2021.5.9)
高梁の尺八工房の改修(その3)(2021.5.9)
竹谷ダムと周辺の竹(その1)2021.2.22
竹谷ダムと周辺の竹(その2)2021.2.22
竹谷ダムと周辺の竹(その3)2021.2.22
竹谷ダムと周辺の竹(その4)2021.2.22
雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その1)2020.12.22
この日は朝から晴天なので、久々に備中松山城に登ることにしました。実家から徒歩ならば1時間ばかりかかりますが、途中ふいご峠まで車で行き、そこから天守広場までは徒歩で登りました。天守広場で持参の地無し3尺管に息をいれました。地元の小学校の4年生が野外学習で登ってきました。若い先生も子供たちも、初めて見た尺八に驚きました。みなさんと記念撮影をしました。午前11時になると急に曇り空になり気温が1℃になり、寒いので急いで下山、ふいご峠で車にのれば、実家の駐車場まで5分で到着しました。この日は、猫城主・三十郎も登場しました。猫にもコロナが感染するとのことで、三十郎に触ることは出来ませんでした。
雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その2)2020.12.22
雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その3)2020.12.22
雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その4)2020.12.22
雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その5)2020.12.22
雲海の城:備中松山城と猫城主・三十郎(その6)2020.12.22
展望台からの備中松山城(その1)2020.9.21
展望台からの備中松山城(その2)2020.9.21
荘直温伝(荘芳枝、松原隆一郎著)2020.8.30
先日、明暗蒼龍会の北村竹仙氏よりメールで下記の情報をいただきました。
「荘直温伝・荘芳枝、松原隆一郎著」発売・吉備人出版
「昨日の日経夕刊の随筆欄に、放送大学教授の松原隆一郎氏が荘芳枝さんから大量の古文書を託され、高梁の名家荘家について、「荘直温伝」を上梓したとのこと。「荘」さんってひょっとしたら前川さんのご近所ではと。」
ネットで調べたら、今年4月に荘直温伝の書籍が出版されていました。すぐにアマゾンで購入しました。忘却の町高梁と松山荘家の九百年と表紙に書かれていました。私は高梁生まれですが、郷土のことについては、山田方谷先生のことぐらいしか知識もありませんでした。趣味の尺八で、津軽弘前藩に江戸時代から伝承された錦風流尺八の歴史調査で、ここ10年くらい弘前に通い、地元の竹友・藤田竹心氏に津軽の名所など、たくさんの場所を案内していただきました。津軽のことは、かなり知ることができましたが、郷里の高梁のことについて、この荘直温伝を読み、改めて沢山のことを知ることができました。私の実家は戦後まもなく購入したものですが、今回の書籍に付録として「備中松山城下図」がありました。弘前には、明治2年弘前絵図が残っていて、士族の名前が書かれていますが、松山城下も同じような地図です。江戸時代は、海抜430mの上にあります備中松山城を中心に、その山麓に武士の町がありましたが、大正時代に伯備線が開通してからは、町の中心が南に移動しました。荘直温氏の活躍で大正15年6月20日に伯備線が開通しました。私の実家まで武士の家でしたが、下級武士のようで、名前を見れば村井哲郎4人扶ちと書かれています。今から30年くらい前、私の娘たちが夏休みになると、高梁に帰省して実家で祖母と過ごした頃は、商店街も人が多く栄えてしましたが、今は商店街の店も次々と閉店して、人通りもまばらになりました。「荘直温伝・荘芳枝、松原隆一郎著」発売・吉備人出版
高梁での稽古(2020.7.30)
7月25日に神奈川県川崎市の自宅に戻る予定が、コロナの影響で、一度帰れば、再度岡山県高梁市の実家に戻ることが出来なくなるので、実家での長期滞在になりました。7月30日に東広島市から増元氏が稽古に来ました。以前は、泊まりでの稽古でしたが、母親が認知症で食事の用意が出来なくなり、日帰りの稽古になりました。増元氏の地無し2尺3寸管は製作して15年が過ぎましたが、今では独特の味わいが響く尺八になりました。地付き管ではとても味わえない音味です。しかしながら、独特の奏法なので、吹いている本人にはその音味はわかりません。管尻の先で響く音は、正面に座った人にしか味わうことが出来ないのは残念なことです。増元氏は入門の時に最も太い尺八を選んだのが正解でした。
高梁での稽古(その1)(2020.7.16)
今日は、大阪から東吹憧氏が高梁の実家に稽古にきました。2尺3寸管にて、調子、大和調子、虚鈴、手向、鹿の遠音、布袋軒鈴慕、奥州薩字の稽古をしました。東氏も入門して8年が過ぎ、やっと地無し管の奏法に竹の響きが出るようになりました。
高梁での稽古(その2)(2020.7.16)
日本遺産認定「ジャパンレッド」発祥の地(その1)2020.7.9
日本遺産認定「ジャパンレッド」発祥の地(その2)2020.7.9
日本遺産認定「ジャパンレッド」発祥の地(その3)2020.7.9
広兼邸(市指定重要文化財)2020.7.91
笹畝坑道(近代化産業遺産)2020.7.9
大阪の東さんと松山城にのぼる(その1)(2013.3.28)
大阪の東さんと松山城にのぼる(その2)(2013.3.28)
高梁の町の展望台より(その1)(2011.12.29)
高梁の町の展望台より(その2)(2011.12.29)
備中松山城にのぼる(その1)(2011.3.14)
平成23年3月14日、高梁の実家に帰省した時に早朝散歩で、実家かた徒歩で臥牛山山頂にります備中松山城に出かけました。実家から徒歩で約1時間で430mの山頂にあります備中松山城まで行くことができます。今では、ふいご峠までタクシーやシャトルバスで行くことができます。この時は、昔の武士が徒歩で登城した道を歩きました。旧道の途中には、赤穂藩家老・大石内蔵助が、城代の時に、徒歩で登城の途中に休憩にために腰を掛けたと言われています石があります。ここからひと息で、ふいご峠に出ることができます。小学校の頃は、学校から帰ると、仲間と松山城まで駆け足で登っていました。