津軽・弘前と函館の旅
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津軽・弘前と函館の旅(その1)2022.10.27~10.30
今回の旅は妻が仕事先から招待をされた贅沢三昧の旅でした。私は、この旅先の弘前市禅林街の盛雲院墓地にあります、錦風流初代宗家・乳井月影師の墓前で、岡本竹外先生が50年愛用されました2尺3寸管(蒼龍)で、宗家の伝承者として、故・岡本竹外先生の代わりに献奏することが、一つの目標でした。10月27日の早朝、川崎の自宅にハイヤーが迎えに来ました。朝の渋滞で、東京駅まで2時間もかかり、なんとか東北新幹線に間に合いました。新青森駅まで、グランクラスの席が用意されていました。新青森駅に到着、駅前のレンタカーが用意されていて、車に乗りかえて、紅葉の十和田湖に向かいました。黒石市から十和田湖に向かう道は、弘前市在住の竹友、藤田竹心氏と何度も通った、見慣れた道、紅葉を眺めながら、十和田湖プリンスホテルに到着、翌朝は、紅葉の庭で十和田湖に向かい、岡本竹外先生、愛用の尺八に息を入れました。こんな広い場所では、地無し管の迫力ある音が、湖畔に響きました。朝食の後、奥入瀬渓流を通り、弘前市に向かいました。弘前公園では、翌日から菊祭りが開催されるとのことでした。まずは岩木山山麓で野風パン工房の店を出しています、板垣氏を訪問しました。最近は仕事も忙しくて、尺八の稽古はお休みとのことでした。今はドイツ人の若者、39歳が石窯パンの研修を受けていました。将来、仙台市で店を開きたいとのことでした。板垣氏に別れを告げ、弘前市内に戻り、妻は弘前公園の散策、私は竹友、藤田竹心氏宅を久々に訪問しました。2時間ばかり話をして、弘前公園で妻を車に乗せ、この日の宿、大鰐温泉・星のリゾート界津軽に向かいました。内装だけは、津軽のこぎんざしの模様を取り入れた作りになっていました。夕食のあとは、3人の若者による津軽三味線の演奏がありました。大きな音ばかりが響き渡りました。まさに現代の尺八演奏と同じで、出汁のない、みそ汁のようでした。翌朝、食事の後、裏山の大鰐スキー場の山頂にありますゴルフ場まで出かけ、岩木山を眺めましたが、山頂は雲で見えませんでした。下山の後、東北道、大鰐弘前インターから、青森インターまで走行、新青森駅前で車を返却しました。再度、東北新幹線、グランクラスで函館北斗駅まで、駅には迎えのハイヤーが来ていました。湯の川温泉、望楼に向かいました。これまで経験したことの無いような部屋に驚きました。こんな源泉かけ流しの大理石の風呂付の部屋、毎日、こんな部屋で暮らしたいと思いました。翌日は、昼前に函館空港に出かけて、荷物を預けた後、函館市内を観光しました。市内電車・谷地頭行に乗車しましたが、昔、津軽3名人の一人、津島孤松師の弟子、阿部孤鶴氏が谷地頭に住んでいたとのことで、阿部孤鶴氏宅を訪問、娘さんから、阿部孤鶴氏の錦風流尺八教授の看板を頂きました。現在も、私の自宅の和室に飾ってあります。こんな思いでの函館を観光した後、夜7時15分発の飛行機で羽田空港に向かいました。羽田空港には迎えのハイヤーが待機していました。自分の旅ならば、リムジンバスで帰宅しますが、妻のおかげで、夢のような旅ができました。自宅に帰り、玉手箱を開けたら、現実の世界に戻りました。旅行中に、仙台市在住のポーランド人で曹洞宗の僧侶、如玄氏から電話があり、来年、ポーランドの如玄氏の郷里で、日本文化展のイベントが予定されていて、如玄氏の禅画、奥さんの仏画展が開催され、同時に、尺八教室を開催するので、私と弟子でポーランド人の法純氏を招待するので来てほしいとのことでした。それまでに、戦争やコロナが収まってほしいものです。