弘前の旅の思い出アルバム(その5)
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弘前の旅(その1)2017年5月18日~5月22日
弘前の旅(その2)2017年5月18日~5月22日
弘前の旅(その3)2017年5月18日~5月22日
弘前の旅(その4)2017年5月18日~5月22日
弘前の旅(その5)2017年5月18日~22日
今回は円覚寺住職の奥さんから、なぜ境内に真竹があるのか、その理由を聞くことができました。九代藩主寧親公の命で、新潟県佐渡から真竹を移植したそうですが、一度は枯れてしまい、二度目のものが現在まで残っているそうです。天保2年(1831)雪の少ない深浦町に移植しましたが、九代藩主寧親公は、藩士・吉崎八弥好道を、虚無僧の本山である一月寺に入門させて、虚無僧本曲を学ばせたことで知られています。その吉崎八弥は、天保4年から深浦奉行として赴任しています。寒い土地の真竹、肉厚で地無し管の製作には適した竹材のように見えました。一度は、この竹をもらって地無し管を製作、錦風流本曲を吹いてみたいものです。