越後三谷の二色楽譜の追加(2023.2.6)
大久保甲童作の2尺3寸管で奥州薩字(神保三谷)を(その1)2023.1.29
(奥州薩字の演奏動画は1月30日から閲覧できます。)
大久保甲童作の2尺3寸管で奥州薩字(神保三谷)を(その2)2023.1.29
大久保甲童作の2尺3寸管で奥州薩字(神保三谷)を(その3)2023.1.29
大久保甲童作の2尺3寸管で阿字観を(その1)2023.1.11.
Today, I played Ajikan on a 2' 3" jinashi made by Okubo Kodo, which was used by Okamoto Chikugai. It was made by a Kinko-ryu shakuhachi master, and the mouthpiece was shaped to blow outwards, so the breath could not get inside.
I have slightly shaved the mouthpice and finally the breath can go inside.=
大久保甲童作の2尺3寸管で阿字観を(その2)2023.1.11.
大久保甲童作の2尺3寸管で阿字観を(その3)2023.1.11.
門田笛空作の2尺3寸管で越後鈴慕を(その1)2023.1.8.
I played the Echigo Reibo on a 2.3 jinashi shakuhachi made by Monden Kuteki, which was preserved in the collection of Okamoto Chikugai. For reference, the sheet music I prepared is also included.
門田笛空作の2尺3寸管で越後鈴慕を(その2)2023.1.8.
門田笛空作の2尺3寸管で越後鈴慕を(その3)2023.1.8.
門田笛空作の2尺3寸管で布袋軒鈴慕を(その1)2022.12.31
Futaiken Reibo
This time I played on a jinashi 2.3 shakuhachi made by Monden Tekiku. This shakuhachi was purchased from my teacher Okamoto Chikugai 44 years ago when I became his student. It not a good shape, but I bought it from Okamoto Sensei after he informed me that I should use this shakuhachi because it would sound better with time. Two shakuhachi, one by Okubo Kodo and the other by Monden Tekiku, have different tone and this is what makes playing on a jinashi shakuhachi pleasure.
門田笛空作の2尺3寸管で布袋軒鈴慕を(その2)2022.12.31
門田笛空作の2尺3寸管で布袋軒鈴慕を(その3)2022.12.31
門田笛空作の2尺3寸管で越後三谷を(その1)2022.12.31
Echigo Sanya
Previously, I played Futaiken Sanya using a 2.3 jinashi shakuhachi made by Okubo Kodo, a Kinko-ryu shakuhachi shakuhachi maker, and this time I played Echigo Sanya using a 2.3 jinashi made by Osaka's Monden Tekiku.
I saw this shakuhachi at Okamoto Chikugai's house about 40 years ago. The surface of the shakuhachi is lacquered and wrapped in wisteria. It is the same thickness as the 2.3 jinashi made by Monden Tekiku which I have been using all these years, so I played Echigo Sanya using this shakuhachi, which is unfamiliar to me. I will be 73 on New Year's Day, and this will be my last performance at the age of 72.
門田笛空作の2尺3寸管で越後三谷を(その2)2022.12.31
門田笛空作の2尺3寸管で越後三谷を(その3)2022.12.31
大久保甲童作の2尺3寸管について(その1)2022.12.29
FUTAIKEN SANYA
The is a jinashi 2.3 made by Okubo Kodo. It was used by Okamoto Chikugai for 50 years. After Okamoto Chikugai passed away, Takahashi Hogai, the second chairman of the Myoan Soryukai, used it for 20 years. After he passed away in June last year, I, as the third chairman, took over this shakuhachi.
Although it is a jinashi, it is completely different in sound from other shakuhachi made by the Kinko-ryu master Okubo Kodo, which are played with utaguchi or the jinashi shakuhachi made by Sakurai Muteki or Monden Tekiku, which have a good breath-holding effect.
For reference, I recorded this Futaiken Sanya.
大久保甲童作の2尺3寸管について(その2)2022.12.29
大久保甲童作の2尺3寸管について(その3)2022.12.29
三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その1)(2022.3.13)
地なし管の製管師は伊東虎眼の没後三代真龍しかいなかった。父と同じく六尺近い大男で両手を広げて六尺三寸あったとのことである。作品は作者の心持が竹にも表れて、総じて柔らかい味わいであった。(谷北無竹)
銘管 (二尺管 太さ三寸七分 銘 古可良志)(二尺管 太さ四寸一分 銘 露堂々)(二尺管 無ら時雨 後醍醐天皇六百年御聖忌献笛記念 明暗無竹 謹銘)
門田笛空著・明暗古管尺八と桜井無笛先生の銘管より
この写真の三代・俣野真龍作の無ら時雨は、谷北無竹先生が献奏で使用されたものです。太くて、柔らかな音味、まさに地なし管のすばらしさがわかる尺八です。明暗対山派の曲には最適の尺八です。重量502グラム)
三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その2)(2022.3.13)
三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その3)(2022.3.13)
三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その5)(2022.3.13)
三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その6)(2022.3.13)
三代・俣野真龍の地なし尺八及びその他の尺八(その7)(2022.3.13)
初代・俣野真龍の地なし尺八(2022.2.17)
「明暗古管尺八と桜井無笛先生の銘管」門田笛空著より
写真は、初代・俣野真龍作の1尺8寸管で重量は339グラムあります。歌口部の直径は39mm、内径は24mmあります。7節の尺八です。
大久保甲童作の地なし尺八(その1)2022.1.29
大久保甲童作の地なし尺八(その2)2022.1.29
大久保甲童作の地なし尺八(その3)2022.1.29
大久保甲童作の地なし尺八(その4)2022.1.29
桜井無笛作の地なし尺八(その1)
「桜井無笛先生作 銘管の銘管たるところ」
明暗双璧といわれた明暗第1級の銘管作者、近藤宗悦(文化五~慶應三 1808~1867)、俣野真龍(1791~1861)は、吹くことにかけても名人であった。このあと明暗地無し管の製管師は、二代俣野真龍(1842~1902)、林虎月(~明治38年)、伊東虎眼(~大正12年)、三代俣野真龍(~昭和11年)と続いた後、めぼしい製管師はいなくなった。桜井無笛先生は(明治26年~昭和36年)民謡のふるさと新潟市の生まれで、子供の頃から使用人の作った尺八で民謡を吹いていた。根っからの尺八吹きで、間のとりかた、音から音への移り具合に、巧まざる旨さがあり、同世代の人達から、天性的に旨かったとの思い出話がよく聞かれる。外国航路の機関長をしていたこともあって、製管の方も器用であった。現在では演奏者と製管師は分業化されているが、桜井先生は九州本曲界の大御所、中村掬風師の長管に魅せられて本曲に開眼し、その後、谷北無竹師について明暗対山派の真音吹きを研鑽し、吹く方の名人であるとともに、銘管の作者でもあった。写真の1は、桜井無笛作の2尺6寸管で重量は660グラムあります。歌口部の直径は50mm、内径は28mmあります。5節の尺八です。
桜井無笛作の地なし尺八(その2)
桜井無笛作の地なし尺八(その3)
桜井無笛作の地なし尺八(その4)
桜井先生は、尺八づくりについて、第一に竹そのものの柔らかい音色を尊重し、第二に竹材は自然状態の素材を可能な限り生かして、工夫をこらしている。竹そのものの柔らかい音色を生かすため、管内の凹凸は地(漆に砥の粉または石膏の粉を混ぜる)を使って、内壁を補修することはしない。地を使うと、竹そのものの柔らかい音色が消え、砥の粉または石膏の音が出て、一見華やかに聞こえるが、よく聞くと詰まったような音になっている。本曲用の尺八は、地なし管(内壁の仕上げは漆だけにする)に限ると言われているのは竹そのものの柔らかな音色を生かすことに主眼がある。地なし管は、節目を僅かに残すことにより、吹き込んだ息が節目を関門として、内壁の多少の凹凸をカバーして通過してゆくことになる。節目を残し過ぎると、息の通りを妨げることになり、つまり気味となる。内壁の盛り上がりが大きいと、節目でカバーしきれず、つまり気味となる。桜井先生の作品は節目の残し加減と、凹凸の修正具合をバランスよく保っている。銘管のなかには、節目をもう少し残しては、また内壁の凹凸をもう少し周世してはと思われるものもあるが、バランスよく剣が峰にとどめて、理想的な仕上がりとなっている。剣が峰にとどめるということは、竹そのものの柔らかい音色の追及は勿論であるが、単なる経験の積み重ねだけでなく、美学と見識でもある。素材が持っている特性を生かし、切れ味が良すぎるのを避けて、吹くほどに味わいが出てくるように工夫をしている。切れ味のよさは、吹き込みによって出せるもので、始めから切れ味の良すぎるのは、柔らか味の出しようがないとも言っておられた。銘管のよさは、各音のバランスがよく保たれ、のびやかでふっくらした音色をしていると言える。ふっくらした音色は計算して作るものではなく、素材をいかしているうちに、巧まずして、作らずして生まれるものと言える。写真の4は桜井無笛作(2尺1寸管)重量は414グラム、歌口部の直径が44mm、内径が26mm。
門田笛空作の地なし尺八(その1)
「明暗古管尺八と桜井無笛先生の銘管」の記事の続きを掲載します。
「竹材」桜井先生は、銘管は資材のときから銘管の相をしているとよく言われた。音だけでなく、素材のときの姿・形からもよく見ていたといえる。外国航路の機関長をしておられ、国内各地の寄港地で、知人・友人も多く、いろいろな人達から尺八製作に向く竹材をおくられたり、竹藪を紹介してもらったりして、採集に出かけたりしていた。銘管の中には、谷狂竹師の最後を診られた、熊本県湯の前町仏跡、集光山五楽園の当主、椎葉亮雄氏(谷狂竹師の養子となり、徹泉と改名)から贈られた、岩のような竹材から、二尺五寸の豪管を作られている。また、友人の紹介で、奈良県柳生の里から更に奥に入った山里から採集した竹材から、二尺六寸の豪管を作られている。これらはかなりの難管と言われていたが、工夫をこらして銘管に仕上げている。竹材は丸くて真直ぐに伸びているものと思われているが、実際には玉子型、曲り、凹凸などがあって先差万別であり、理想的な形、寸法の竹材を見つけることは難しいことである。写真の1は、門田笛空作(2尺管・5節)籐巻で、重量が382グラム、歌口部の直径は42mm、内径は24mm。
門田笛空作の地なし尺八(その2)
竹材は一般的には、全体の形から七節が良いとされているが、桜井先生は、素材によっては八節、六節場合によっては五節等も巧みに利用して仕上げている。定寸よりも短い竹でも、管尻の裏に調節穴を設けることによって、五節を六節~七節として、形を整えた作品もある。竹材の太さについては、それぞれの長さによりおよその太さは限定されるが、画一的な太さということはない。材の太さにより定寸を限定されず、節を抜いた状態の筒音によって長さを加減している。手穴の割り付けは、明暗古来の十割としているが、材の太さによって加減し、太さにより手穴の直径も1.2糎と指先の入るような太さもあり、状況によりいろいろと工夫をしている。材によっては縦型に波を打って曲がっているもの、横にくねくねと湾曲しているもの等常識からいって材料として扱っていないものでも、自然状態の素材を生かして活用している。例えば、縦型・横型に曲がっている材は、息の通りを考えて、節目の一部を上、下、左、右部分的に、多く残したり、少なく残したりして、素材を生かしてすっきりと仕上げている。(一尺八寸管の二つ判作品など)写真の2は門田笛空作(2尺3寸管)重量513グラム、歌口部の直径43mm、内径26mm。
門田笛空作の地なし尺八(その3)
二代目を継いだあと、当面は先輩・同僚達と桜井無笛門下の本曲会を続けることになったが、急務として、これから明暗本曲を始める人達用に、地なし管を作ることになった。竹材の採集から、油抜き、乾燥、下ごしらえ、調律、籐巻き等の一貫作業を、師匠の残した銘管を参考にして、手探りの作業で、こればかりはそっくりさんどころではなかった。桜井先生が吹くことでも、作ることでも大きな存在であったことが、実感として迫ってきた。地なし管づくりは、実際にどれだけの数を作るか、いろいろな難度の高い材料で、調律の経験をどれだけ重ねるかにかかっている。良い作品が出来たとしても、1本だけではたまたまの僥倖にすぎない。同じ律の作品が次々と出来るようでなければ、本物とは言えない。新人用の一尺八寸を主に作っていた頃、良い材料に恵まれ、明暗双璧といわれた近藤宗悦作一尺九寸管の律に合うように作った、一尺九寸管が自身作になった。写真の3は門田笛空作の(2尺5寸管)重量626グラム、歌口部の直径45mm、内径29mm。
門田笛空作の地なし尺八(その4)
このあと、稽古には二尺三寸管を主に使うようになってきたので、桜井先生の作品と同じ様に、太くて、重い長管の材料を中心に集め、自信作の二尺五寸管、二尺六寸管が出来上がった。地なし管は竹そのものの柔らかい音色を生かすために、管内の仕上げは漆だけとし、調律には細心の注意を払うが、材料によっては苦心を重ねることになる。二尺一寸の長さで調律のバランスがうまくいかず手間どったが、桔局二尺三寸管として仕上がったものもある。同じ様に二尺三寸の長さで桔局二尺五寸管として仕上がったものもある。結果的には材料が太かったので、二寸長い律に調律出来るのか、これは長さと太さのバランスもあって、短管の場合は、難しいといえる。写真の4は門田笛空作の(2尺6寸管)重量800グラム、歌口部の直径52mm、内径32mm。籐巻は前川耕月:琴古流や都山流の尺八が中にすっぽりと入るような巨管ですが、息受けの良さと律の良さは、他の尺八を寄せ付けないぐらい素晴らしいものです。